救護班代表の松岡医師と、増田看護師、川島業務調整員がそれぞれの視点から報告を行いました。
業務調整員として参加した川島さんは、派遣要請を受けた4月20日の夜には、機材を積んだ公用車で当院を出発し、陸路で現地に向かったそうです。同行した太田薬剤師と交代とはいえ、悪天候の中で夜通しの運転は相当な負担であったことは想像に難くありません。
現地では、阿蘇保健所管内の救護活動の指示を受け、救護ニーズの把握その他様々な情報収集と記録整理等を行ったとのこと。阿蘇医療センターの本部には膨大な数の情報が寄せられ、ノロウィルスやインフルエンザの流行、ゴミ放置による衛生面での問題、病院の看護師不足など数多くの課題が見られたようです。また、被災者の厳しい避難生活や救援物資が避難所に届かない状況なども数多く報告されていたようです。
支援側は現地の状況に合わせ臨機応変に対処していたようですが、多くのチームが参集する中で、連携に課題を残した面もあったようです。また休む間もなく食事も不足する状況では体調を崩す者も現れるなど、改めて支援活動の過酷さ難しさが浮き彫りとなったとのことです。
看護師の増田さんは、発災直後にDMAT隊員として待機していた段階から、派遣を想定して様々な情報収集に努めていたそうです。新聞やSNS、EMISなどによる情報収集のほか、研修資料を見直すなどの準備も怠りませんでした。必要物品の調達や被災地での活動に必要な看護関連物品の準備などとともに、心配する家族への配慮など様々な事前の心配りが印象的でした。
現地の本部活動においては、朝夕の連絡会議に参加し、議事録を作成することで、提供している診療活動の課題や埋もれている避難所、保健医療ニーズを掘り起こすことができ、非常に有用であったとのこと。そして災害時の医療のニーズに対応した看護の視点を持った救護活動を行うことが重要であり、かつ医療チームが円滑に活動できるように、メンバーの健康や精神面でのサポートも必要と訴えていました。
松岡医師は、地震発生直後から静岡県庁の情報連絡室に詰め、静岡DMATとして待機要請に応えるとともに、刻々と変化する状況の変化を見極めながら最終的に県からの救護班の派遣要請に当院が迅速に対応する原動力になりました。
また、災害時における医療チームの正しい在り方、成すべき行動について冷静かつ的確に都度判断しながら、様々な問題に対処する様子が語られました。
例えば、全国から参集しているスタッフが様々な現場に入っていく中で、病院支援の医師、看護師が時折手持ち無沙汰になるような状況もあり、自らの派遣について疑問を呈するような場面もあったようです。しかし派遣されたスタッフがその場にいるおかげで現地のスタッフが休むことができるという点で意味のあるものなのだというお話は、とても印象的でした。
また参集したメンバーで提供できる医療を最大限行うこと、それぞれのチームが足りないところを補い合いながら対処することが重要であるとのことでした。
現地では日々変化する状況に対応できる実効性のある医療体制をつくり維持していくことが肝心で、当院のチームが去った後も持続可能な体制作りに尽力した様子が語られました。
そして救護班の活動は、医療に関するすべてを求められており、やりたい医療をやるのではなく、被災地が必要とするあらゆることに対応すべきであるとのこと。とあるDMAT隊員はトイレ掃除をしていましたが、現地の衛生状態を良くするため必要な作業として行っていたとのことです。
支援者としての自覚を持つこと。SNSへのアップなど被災者の心情を逆撫でする行為は厳に慎まなければならず、被災地での飲食類の購入も極力控えるべきであること、何より被災者の気持ちに寄り添うことが大切であるとのことです。
残念ながら、今回被災状況が大規模になってしまった原因として、現地の災害に対する備えが十分ではなかったことが一因であるとの指摘があるようです。最後に松岡医師から、現地で実際に見聞きした対策の遅れや問題点の提起があり、改めて日頃の減災対策と訓練が重要であるとの認識が示されました。
当初の予定時間を大幅に超過して、数多くの得難い経験が語られた素晴らしい報告会となりました。
当院救護班の活動に心より敬意を表します。この経験は、当院や地域のこれからの災害対策に必ずや生かされることと思います。
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